2017年07月30日
暑寒別岳へ お花畑が待っていた
2017年(平成29年)7月19日(水)
暑寒別岳へ お花畑が待っていた
「七合目 お花畑の 暑寒別」
花咲く暑寒別岳山頂

早朝4:30フェリーは小樽に無事入港。
北海道山の旅が始まった。
三百名山、北海道内の残る12座をできるだけ登ると決めてスタート。
まずは小樽から比較的近い増毛にある暑寒別岳を目指した。
フェリーでよく寝れたので調子よく登ることができた。
増毛町箸別の登山口には7:50頃到着。
すでに駐車場には数台の車が止まっていた。
自衛隊の車両が止まってもいた。さて?
登山口から平坦な登山道を順調に進んだ。
30分以上歩いた時
なんと1合目の標識!

えっ!
やっと1合目とは。
2合目も30分以上かっかたのだ。
思っていた以上に時間がかかりそうだ。
ところが3合目は
10分で到着。ここで一安心した。
どういう基準でこの合目が付けられているのだろうか?
笹がきれいに刈られたばかりの登山道を
7合目まで登るとお花畑が現れた。
山頂方面も見えて気持ち良い登りになった。


山頂までは花畑の中を歩く。
少しの登り下りを繰り返し山頂に出る。
山頂には大勢の人が。
ことに自衛隊の集団には驚いた。
登山口の自衛隊の車両の理由が分かった。

山頂からの眺めは雲海が一面に広がり
美しい景観だが遠くの山は見ることができなかった。

今回の北海道の山旅
暑寒別岳からスタート
順調に始まることができた。
<暑寒別岳といえばお花だそうだ>


ところが明日からは雨が続きそうとの天気予報が出ている。
明日は天塩岳の予定だが?
明日起きてから登るか停滞か決めよう。
ふるちゃん
暑寒別岳へ お花畑が待っていた
「七合目 お花畑の 暑寒別」
花咲く暑寒別岳山頂
早朝4:30フェリーは小樽に無事入港。
北海道山の旅が始まった。
三百名山、北海道内の残る12座をできるだけ登ると決めてスタート。
まずは小樽から比較的近い増毛にある暑寒別岳を目指した。
フェリーでよく寝れたので調子よく登ることができた。
増毛町箸別の登山口には7:50頃到着。
すでに駐車場には数台の車が止まっていた。
自衛隊の車両が止まってもいた。さて?
登山口から平坦な登山道を順調に進んだ。
30分以上歩いた時
なんと1合目の標識!
えっ!
やっと1合目とは。
2合目も30分以上かっかたのだ。
思っていた以上に時間がかかりそうだ。
ところが3合目は
10分で到着。ここで一安心した。
どういう基準でこの合目が付けられているのだろうか?
笹がきれいに刈られたばかりの登山道を
7合目まで登るとお花畑が現れた。
山頂方面も見えて気持ち良い登りになった。
山頂までは花畑の中を歩く。
少しの登り下りを繰り返し山頂に出る。
山頂には大勢の人が。
ことに自衛隊の集団には驚いた。
登山口の自衛隊の車両の理由が分かった。
山頂からの眺めは雲海が一面に広がり
美しい景観だが遠くの山は見ることができなかった。
今回の北海道の山旅
暑寒別岳からスタート
順調に始まることができた。
<暑寒別岳といえばお花だそうだ>
ところが明日からは雨が続きそうとの天気予報が出ている。
明日は天塩岳の予定だが?
明日起きてから登るか停滞か決めよう。
ふるちゃん
2017年07月18日
北海道の山へ
2017年(平成29年)7月18日(火)
北海道の山へ
(昨年登った幌尻岳から日高南方の山並み)

明日から2週間ほどかけて北海道の山へと計画しました。
19日(水) 暑寒別岳
20日(木) 天塩岳
22日(土) カムイエクウチカウシ山
24日(月) 神威岳
26日(水) ペテガリ岳
天気、体調その他運が良ければこの5座を登りたい。
最低
カムイエクウチカウシ山を登りたい。
最難関の山だが登らせてもらいたいものだ。
報告は8月に入ってからになります。
ふるちゃん
北海道の山へ
(昨年登った幌尻岳から日高南方の山並み)
明日から2週間ほどかけて北海道の山へと計画しました。
19日(水) 暑寒別岳
20日(木) 天塩岳
22日(土) カムイエクウチカウシ山
24日(月) 神威岳
26日(水) ペテガリ岳
天気、体調その他運が良ければこの5座を登りたい。
最低
カムイエクウチカウシ山を登りたい。
最難関の山だが登らせてもらいたいものだ。
報告は8月に入ってからになります。
ふるちゃん
2017年07月15日
茶臼山へ(美ヶ原) ハクサンフウロウ美し!
2017年(平成29年)7月14日(金)
茶臼山へ(美ヶ原) ハクサンフウロウ美し!
「雲の茶臼 ハクサンフウロウ 美し」
美ヶ原の茶臼山へ薄雲リで眺望もないだろうが、
前回の笊ヶ岳のクールダウン
次回計画のためのトレーニングも兼ねて登った。
三城いこいの広場から登り始め
小広場から茶臼山方面に向かった。
山の神を過ぎると苔むす山道が美しい。
笹の生い茂る個所はきれいに刈られ、登山道はよく整備されていた。
谷間から徐々に高度を上げて茶臼山の山頂に立つ。

山頂からは美ヶ原の平らな山頂が一部見えたが
雲がかかり王ヶ頭方面はすっかり雲の中だった。
さわやかな風が吹き
毎日30度を超える下界の暑さを忘れさせてくれた。
山頂からは塩くれ場方面へ牧場内を歩いていく。
牧場内は時々放牧中の牛のフンがあり
跳び越えながら先を急いだ。
そんな中足元にはハクサンフウロウが多く見られ
その薄ピンク色の可憐な花が
どんよりした雲に対して美しく輝いて見えた。

ハクサンフウロウは晴れた日よりも
曇った日の方が美しさを増しているようにも感じた。
美ヶ原では今一番の見ごろがハクサンフウロウかもしれない。
ハクサンフウロウと牛のフンを見ながら牧場を歩き
塩くれ場へと牧場の外へと有刺鉄線の扉を開け出た。
その有刺鉄線の扉にはなんと立ち入り禁止の札があった。
衛生管理上の立ち入り禁止ということだったが、
茶臼山方面には全くその表示がなく安易に来てしまった。
塩くれ場方面からは牧場内への立ち入りが
現在禁止されているということになる。
確かに放牧中は立ち入り禁止になっていてもおかしくないので反省。

美ヶ原ではぽつぽつと雨を感じ始めた。
雲がどんどんと黒くなってくる感じもあり、先を急いだ。
そんな中牧場内にレンゲツツジの赤い花がまだまだ見られた。
王ヶ頭方面には行かずに
百曲りコースを使って下山を始めた。
この中登ってくる二人に出会っただけで
静かなクールダウン、トレーニング・ハイキングになった。
それでも三城の麓にはトレッキング中の十数人の集団、
小学生の野外活動の集団も駐車場に到着。
それにキャンプ中の中学生とにぎやかな三城牧場付近だった。
ふるちゃん
茶臼山へ(美ヶ原) ハクサンフウロウ美し!
「雲の茶臼 ハクサンフウロウ 美し」
美ヶ原の茶臼山へ薄雲リで眺望もないだろうが、
前回の笊ヶ岳のクールダウン
次回計画のためのトレーニングも兼ねて登った。
三城いこいの広場から登り始め
小広場から茶臼山方面に向かった。
山の神を過ぎると苔むす山道が美しい。
笹の生い茂る個所はきれいに刈られ、登山道はよく整備されていた。
谷間から徐々に高度を上げて茶臼山の山頂に立つ。
山頂からは美ヶ原の平らな山頂が一部見えたが
雲がかかり王ヶ頭方面はすっかり雲の中だった。
さわやかな風が吹き
毎日30度を超える下界の暑さを忘れさせてくれた。
山頂からは塩くれ場方面へ牧場内を歩いていく。
牧場内は時々放牧中の牛のフンがあり
跳び越えながら先を急いだ。
そんな中足元にはハクサンフウロウが多く見られ
その薄ピンク色の可憐な花が
どんよりした雲に対して美しく輝いて見えた。
ハクサンフウロウは晴れた日よりも
曇った日の方が美しさを増しているようにも感じた。
美ヶ原では今一番の見ごろがハクサンフウロウかもしれない。
ハクサンフウロウと牛のフンを見ながら牧場を歩き
塩くれ場へと牧場の外へと有刺鉄線の扉を開け出た。
その有刺鉄線の扉にはなんと立ち入り禁止の札があった。
衛生管理上の立ち入り禁止ということだったが、
茶臼山方面には全くその表示がなく安易に来てしまった。
塩くれ場方面からは牧場内への立ち入りが
現在禁止されているということになる。
確かに放牧中は立ち入り禁止になっていてもおかしくないので反省。
美ヶ原ではぽつぽつと雨を感じ始めた。
雲がどんどんと黒くなってくる感じもあり、先を急いだ。
そんな中牧場内にレンゲツツジの赤い花がまだまだ見られた。
王ヶ頭方面には行かずに
百曲りコースを使って下山を始めた。
この中登ってくる二人に出会っただけで
静かなクールダウン、トレーニング・ハイキングになった。
それでも三城の麓にはトレッキング中の十数人の集団、
小学生の野外活動の集団も駐車場に到着。
それにキャンプ中の中学生とにぎやかな三城牧場付近だった。
ふるちゃん
2017年07月11日
笊ヶ岳へ 急登急下降で試される山
2017年(平成29年)7月10日(月)
笊ヶ岳へ 急登急下降で試される山
「笊なのに 乳酸たまり 徒渉日和」
(笊ヶ岳山頂 静岡・山梨の標柱が並ぶ
後ろ上河内岳・聖岳)

私にとっては最難関の山へ行ってこれた。
長いこと計画、考えだけの中の笊ヶ岳だけに
登れたことが本当にうれしい!
笊ヶ岳のためにツェルトを新調した。
今は本当に手軽なテントとしても使えるようなツェルトがある。
「クロスオーバードームf」を持った。
食料も朝食、非常食としていつもの2倍を用意した。
水もいつもだと1.5Ⅼで済ますところ、
ペットボトル4本2Ⅼをザックに入れた。
ということで多少重たいザックを背負い暗闇の中
睡眠不足もあるのか足に力が入らないまま歩き始めた。
駐車場を出るとすぐに林道ゲートがありしばらく林道歩きが続く。
クマ出没注意!
鈴・笛・ストックを打ち鳴らす・大声と音を出し進んでいった。
熊の活動は朝が多いので特に注意していった。
林道から別れると沢・渓谷沿いに道が徐々に高度を上げていく。
橋がいくつもかけられていてかなり楽をしているなと思いながら歩いた。
その中でもタケ沢のつり橋は高度感・揺れの二拍子がそろっていた。

この沢沿いの道で意外と怖かったのが
草、雑木で覆われて見えないがかなり深い渓谷だ。
頭の上からは水しぶき、道がぬかるんだ場所が何か所かあったのだが
その足元をよくよく見ると(見ない方がいい)
すっぱと切れ落ちる崖になっているのだ。
思わず身を山側に寄せる感じになった。
序盤からいくつも試練がある。
下の沢まで続くだろう崖崩れのガレ場が十数mある。

そのガレ場の最後の部分が、私にとっては最高に怖い場所だった。
足場は滑り足元から石が崩れていく。
さらにホールドする石も不安定なものばかり。持つとこがない。
行きは四つん這いになってガラガラ石を落としながら何とか渡った。
帰りはロープが張ってあるが、そのロープ何とも頼りなさそうだったが
ロープを信じロープにつかまり足場のある所までよじ登ることができた。
滑り落ちると死ぬことはなさそうだったが、
相当の細かい石のガレ場で
登れそうにもない蟻地獄のような傾斜だけに慎重になった。
そして最後、広河原の徒渉部分
今回は水量も少なかったので踏み石を使い跳び越えることができた。
帰りは最初から靴を脱ぎ素足で渡った方が気持ちよさそうと思った。

広河原から先笊ヶ岳の序盤の危険度の高い道と違う登りが待っていた。
「急登 ああ急登 急登」
と歌が読めるぐらいの急登の連続、厳しさだった。
広河原から山の神までの登りはジグザグに淡々と登りつめていく。
谷側を見ると足がすくむようなところ
急な傾斜にわずかばかりの踏み跡があるような狭い道もあり、
緊張もしながらの長い登りでなかなか山の神まで着かない感じだった。

山の神ではホッと一息入れることができた。
でもこれからが稜線登りの本番、
もうやめてくれとい言ってしまったほど急登が続く。
途中には林業で使っていただろ機械やワイヤーが捨て置かれている。
その付近は道も分かり難いところがあり
今回稜線を外さないように進んでいたのだが
けもの道なのか、林業で使っていた廃道なのか
100m程間違えて入ってしまった。

稜線を外さなければ大丈夫、それにピンクの道標もしっかりしている。
なぜ間違えたのか振り返ってみたがわからない。
道ができていれば知らず知らずに入って行ってしまうのだと感じた。
おかしいと思ったら戻ることが肝心ということ。
桧横手山付近は急登の中でもちょっと気を休めることができて
周りの景色も楽しむことができた。
景色といっても展望ではなく、樹林帯の美しさや
シダ、マイズルソウ、カニコウモリなど群落の緑の美しさだ。

布引山に近づくに従いますます急登がきつくなる。
山頂近くには崩壊した部分が出てきてその横を歩くことになる。
危険ではあるが初めて展望は良くなり、
上河内岳・聖岳が目の前に大きく見えた。

ガレ場を過ぎると布引山の山頂が現われる。
周りは木々に覆われ展望は全くない山頂だった。
ただここにはキャンプ地がありテントが張れる広さがあった。

私も最初はこの辺りに泊まることになるのかなと思ってもいたが
かなりきつい登りだったものの、
思っていた以上に早く布引山への到着となっていた。
ここからは稜線を辿り目指す笊ヶ岳までは直ぐだと思った。
ところがどっこい150m下り、200m登り返すという
最後の最後の試練が待っていた。
特に鞍部の2410m地点に着いてからの
笊ヶ岳山頂までの登りのきつく長いこと、今までも厳しかったが、
「まだか、まだか…もうヤダ!う~」とつい口に出てしまうほどだった。
急にシャクナゲ、はい松などが登山道を覆うようにあり
歩き難いなと思ったとき山頂に到着した。
やっと着いたと力が少し抜けた感じだった。

周りを見ると今まで見えなかった
赤石岳、荒川岳それに塩見岳も見えるではないか。
先ほどまでは富士山も見えていた。残念ながら今は見えないが。
(赤石岳・荒川岳)

(はい松尾のガレ 後荒川と塩見岳)

もくもくと歩くしかなかった笊ヶ岳が山頂でご褒美をくれる。
正にその通りだと思った。
正直、変化に乏しい急登が続くだけの山には違いない。
しかし山頂からのいきなりの360度展望は最高に近い。
登りたいと常々思っていた笊ヶ岳だったが、
戻ることを考えるとあまり喜びに慕っていられないものもあった。
雲の動きも沸き立ってくるようでどんどん大きくなってきている。
周りの景色を写真に収め
そそくさという表現がぴったりだろうが憧れの笊ヶ岳山頂を後にした。
布引山まで戻るのも長く感じた。
でも下りになっていることは、長い道のりの中では少し安心感があった。
足を痛めないように適当に休みを入れながら下る。
それでも登りよりも下りの方が足に負担が来る。
足裏が熱く、指先が痛む、膝がかくっとなり、太ももも張ってくる。
すると下りながら広河原の徒渉が楽しみになってきた。
長い下りが続く、よくもこれだけの登りを登ったものだと感心さえする。
桧横手山、山の神とポイントに着くごとに
足腰にだいぶダメージがあることがわかる。
広河原が見えた時には「やった!」とつい声が出てしまった。
時間的にも余裕があり広河原でしっかり水を浴びた。
素足の徒渉も気持ちよく。
2Ⅼの水も終わりすでに終わり、水補給もしっかりできた。
完全にリフレッシュができた。
(裸足で徒渉が気持ちいい)

あとは気を付けて川沿いを下り、危険地帯も分かっているので
慎重にクリアして、
日が沈まないうちに雨畑沼平へと帰ることができた。
そして無事帰れたことが何よりだった。
ふるちゃん
笊ヶ岳へ 急登急下降で試される山
「笊なのに 乳酸たまり 徒渉日和」
(笊ヶ岳山頂 静岡・山梨の標柱が並ぶ
後ろ上河内岳・聖岳)
私にとっては最難関の山へ行ってこれた。
長いこと計画、考えだけの中の笊ヶ岳だけに
登れたことが本当にうれしい!
笊ヶ岳のためにツェルトを新調した。
今は本当に手軽なテントとしても使えるようなツェルトがある。
「クロスオーバードームf」を持った。
食料も朝食、非常食としていつもの2倍を用意した。
水もいつもだと1.5Ⅼで済ますところ、
ペットボトル4本2Ⅼをザックに入れた。
ということで多少重たいザックを背負い暗闇の中
睡眠不足もあるのか足に力が入らないまま歩き始めた。
駐車場を出るとすぐに林道ゲートがありしばらく林道歩きが続く。
クマ出没注意!
鈴・笛・ストックを打ち鳴らす・大声と音を出し進んでいった。
熊の活動は朝が多いので特に注意していった。
林道から別れると沢・渓谷沿いに道が徐々に高度を上げていく。
橋がいくつもかけられていてかなり楽をしているなと思いながら歩いた。
その中でもタケ沢のつり橋は高度感・揺れの二拍子がそろっていた。
この沢沿いの道で意外と怖かったのが
草、雑木で覆われて見えないがかなり深い渓谷だ。
頭の上からは水しぶき、道がぬかるんだ場所が何か所かあったのだが
その足元をよくよく見ると(見ない方がいい)
すっぱと切れ落ちる崖になっているのだ。
思わず身を山側に寄せる感じになった。
序盤からいくつも試練がある。
下の沢まで続くだろう崖崩れのガレ場が十数mある。
そのガレ場の最後の部分が、私にとっては最高に怖い場所だった。
足場は滑り足元から石が崩れていく。
さらにホールドする石も不安定なものばかり。持つとこがない。
行きは四つん這いになってガラガラ石を落としながら何とか渡った。
帰りはロープが張ってあるが、そのロープ何とも頼りなさそうだったが
ロープを信じロープにつかまり足場のある所までよじ登ることができた。
滑り落ちると死ぬことはなさそうだったが、
相当の細かい石のガレ場で
登れそうにもない蟻地獄のような傾斜だけに慎重になった。
そして最後、広河原の徒渉部分
今回は水量も少なかったので踏み石を使い跳び越えることができた。
帰りは最初から靴を脱ぎ素足で渡った方が気持ちよさそうと思った。
広河原から先笊ヶ岳の序盤の危険度の高い道と違う登りが待っていた。
「急登 ああ急登 急登」
と歌が読めるぐらいの急登の連続、厳しさだった。
広河原から山の神までの登りはジグザグに淡々と登りつめていく。
谷側を見ると足がすくむようなところ
急な傾斜にわずかばかりの踏み跡があるような狭い道もあり、
緊張もしながらの長い登りでなかなか山の神まで着かない感じだった。
山の神ではホッと一息入れることができた。
でもこれからが稜線登りの本番、
もうやめてくれとい言ってしまったほど急登が続く。
途中には林業で使っていただろ機械やワイヤーが捨て置かれている。
その付近は道も分かり難いところがあり
今回稜線を外さないように進んでいたのだが
けもの道なのか、林業で使っていた廃道なのか
100m程間違えて入ってしまった。
稜線を外さなければ大丈夫、それにピンクの道標もしっかりしている。
なぜ間違えたのか振り返ってみたがわからない。
道ができていれば知らず知らずに入って行ってしまうのだと感じた。
おかしいと思ったら戻ることが肝心ということ。
桧横手山付近は急登の中でもちょっと気を休めることができて
周りの景色も楽しむことができた。
景色といっても展望ではなく、樹林帯の美しさや
シダ、マイズルソウ、カニコウモリなど群落の緑の美しさだ。
布引山に近づくに従いますます急登がきつくなる。
山頂近くには崩壊した部分が出てきてその横を歩くことになる。
危険ではあるが初めて展望は良くなり、
上河内岳・聖岳が目の前に大きく見えた。
ガレ場を過ぎると布引山の山頂が現われる。
周りは木々に覆われ展望は全くない山頂だった。
ただここにはキャンプ地がありテントが張れる広さがあった。
私も最初はこの辺りに泊まることになるのかなと思ってもいたが
かなりきつい登りだったものの、
思っていた以上に早く布引山への到着となっていた。
ここからは稜線を辿り目指す笊ヶ岳までは直ぐだと思った。
ところがどっこい150m下り、200m登り返すという
最後の最後の試練が待っていた。
特に鞍部の2410m地点に着いてからの
笊ヶ岳山頂までの登りのきつく長いこと、今までも厳しかったが、
「まだか、まだか…もうヤダ!う~」とつい口に出てしまうほどだった。
急にシャクナゲ、はい松などが登山道を覆うようにあり
歩き難いなと思ったとき山頂に到着した。
やっと着いたと力が少し抜けた感じだった。
周りを見ると今まで見えなかった
赤石岳、荒川岳それに塩見岳も見えるではないか。
先ほどまでは富士山も見えていた。残念ながら今は見えないが。
(赤石岳・荒川岳)
(はい松尾のガレ 後荒川と塩見岳)
もくもくと歩くしかなかった笊ヶ岳が山頂でご褒美をくれる。
正にその通りだと思った。
正直、変化に乏しい急登が続くだけの山には違いない。
しかし山頂からのいきなりの360度展望は最高に近い。
登りたいと常々思っていた笊ヶ岳だったが、
戻ることを考えるとあまり喜びに慕っていられないものもあった。
雲の動きも沸き立ってくるようでどんどん大きくなってきている。
周りの景色を写真に収め
そそくさという表現がぴったりだろうが憧れの笊ヶ岳山頂を後にした。
布引山まで戻るのも長く感じた。
でも下りになっていることは、長い道のりの中では少し安心感があった。
足を痛めないように適当に休みを入れながら下る。
それでも登りよりも下りの方が足に負担が来る。
足裏が熱く、指先が痛む、膝がかくっとなり、太ももも張ってくる。
すると下りながら広河原の徒渉が楽しみになってきた。
長い下りが続く、よくもこれだけの登りを登ったものだと感心さえする。
桧横手山、山の神とポイントに着くごとに
足腰にだいぶダメージがあることがわかる。
広河原が見えた時には「やった!」とつい声が出てしまった。
時間的にも余裕があり広河原でしっかり水を浴びた。
素足の徒渉も気持ちよく。
2Ⅼの水も終わりすでに終わり、水補給もしっかりできた。
完全にリフレッシュができた。
(裸足で徒渉が気持ちいい)
あとは気を付けて川沿いを下り、危険地帯も分かっているので
慎重にクリアして、
日が沈まないうちに雨畑沼平へと帰ることができた。
そして無事帰れたことが何よりだった。
ふるちゃん
2017年07月09日
霧訪山へ 北小野新道より周回
2017年(平成29年)7月7日(金)
霧訪山へ 北小野新道より周回
「霧訪へ 北小野新道 回り道」
(ササユリの先が霧訪山頂)

今日も梅雨の晴れ間ということで
今シーズンまだ登っていない霧訪山を目指した。
3回目となる霧訪山でもある。
最初は今回と同じ北小野から霧訪山へ登り
そこから大芝山経由善知鳥峠へ下山、国道を歩いて北小野へと戻った。
2度目は塩尻市下西条 山の神自然園からの周回コース。
北小野から新登山道があるのを知ったのは昨日のこと
前回は十数年前のことでよく覚えてはいないが
まだなかったような気がしている。この辺はあいまい。
さて登り始めると御嶽権現の碑を通過しどんどん高度を上げていく。
こんなに急坂の登山道だったのかなと思いつつ登った。
分岐に出て新登山道に向かった。
時間的には山頂まで90分ということで直登よりも時間がかかる。

杉・ヒノキの樹林帯の中を平行移動、いや下り気味に進む。
尾根の見晴らしのいい場所に出たので登り始めるかと思いきや
さらに谷に向かい下り始めるのだ。

とうとう南沢という沢にまで下ることになった。
そこからしばらく林道を歩き大芝山の尾根に向かって登る。
大回りをして霧訪山を目指す新道だということがわかる。
下ってきた分、登り返すと大芝山との分岐に出た。
さらに山の神自然園への分岐を通り男坂・女坂に出た。
最初女坂を登り、途中から急登の男坂に変更し、
一気に山頂の稜線へと出た。
登る途中で数本見かけたササユリ。
稜線の雑木生い茂る中にも淡いピンク色のササユリを見つけた。
と写真を撮ろとすると、その先には山頂が顔を出していた。
山頂に出るといきなりの360度の大展望が待っていた。
遠くの北アルプス、南アルプスなどは雲がかかり見えないが
塩尻の街並み、近辺の里山、八ヶ岳の稜線などが広がった。
(手前大芝山 その先に高ボッチ・鉢伏山)

北小野への下山
ほとんど真っ直ぐの急坂を下ることになる。
下るのは初めて、登ったことはあるのだが全く覚えていなく
これほど一気に下る登山道だったのかなと慎重に下った。
下りにかかった時間は登りに比べればずいぶん早かった。
本来は新道の大回りとは違い一気に登り、一気に下る霧訪山。
それが新登山道で大きく回り道をしながらのんびり登ることもできる
霧訪山の新しい北小野からの魅力になっているのかもしれない。
ふるちゃん
霧訪山へ 北小野新道より周回
「霧訪へ 北小野新道 回り道」
(ササユリの先が霧訪山頂)
今日も梅雨の晴れ間ということで
今シーズンまだ登っていない霧訪山を目指した。
3回目となる霧訪山でもある。
最初は今回と同じ北小野から霧訪山へ登り
そこから大芝山経由善知鳥峠へ下山、国道を歩いて北小野へと戻った。
2度目は塩尻市下西条 山の神自然園からの周回コース。
北小野から新登山道があるのを知ったのは昨日のこと
前回は十数年前のことでよく覚えてはいないが
まだなかったような気がしている。この辺はあいまい。
さて登り始めると御嶽権現の碑を通過しどんどん高度を上げていく。
こんなに急坂の登山道だったのかなと思いつつ登った。
分岐に出て新登山道に向かった。
時間的には山頂まで90分ということで直登よりも時間がかかる。
杉・ヒノキの樹林帯の中を平行移動、いや下り気味に進む。
尾根の見晴らしのいい場所に出たので登り始めるかと思いきや
さらに谷に向かい下り始めるのだ。
とうとう南沢という沢にまで下ることになった。
そこからしばらく林道を歩き大芝山の尾根に向かって登る。
大回りをして霧訪山を目指す新道だということがわかる。
下ってきた分、登り返すと大芝山との分岐に出た。
さらに山の神自然園への分岐を通り男坂・女坂に出た。
最初女坂を登り、途中から急登の男坂に変更し、
一気に山頂の稜線へと出た。
登る途中で数本見かけたササユリ。
稜線の雑木生い茂る中にも淡いピンク色のササユリを見つけた。
と写真を撮ろとすると、その先には山頂が顔を出していた。
山頂に出るといきなりの360度の大展望が待っていた。
遠くの北アルプス、南アルプスなどは雲がかかり見えないが
塩尻の街並み、近辺の里山、八ヶ岳の稜線などが広がった。
(手前大芝山 その先に高ボッチ・鉢伏山)
北小野への下山
ほとんど真っ直ぐの急坂を下ることになる。
下るのは初めて、登ったことはあるのだが全く覚えていなく
これほど一気に下る登山道だったのかなと慎重に下った。
下りにかかった時間は登りに比べればずいぶん早かった。
本来は新道の大回りとは違い一気に登り、一気に下る霧訪山。
それが新登山道で大きく回り道をしながらのんびり登ることもできる
霧訪山の新しい北小野からの魅力になっているのかもしれない。
ふるちゃん
2017年07月06日
燕岳・北燕岳へ 雷鳥・花と北アルプス
2017年(平成29年)7月6日(木)
燕岳・北燕岳へ 雷鳥・花と北アルプス
「雷鳥さん 今年も会えた 夏スタイル」
(ハクサンイチゲと槍)

今シーズン3回目
トータル23回目の燕方面になる。
今年は雪解けが遅く雷鳥になかなか会えなく
3週間前にも会えるかと思ったが見ることができなかった。
今日こそ会えないかと登ってみた。
また最近長雨が続き
今日は晴れ間が出るとの予報で登ることにした。
登りは雲がかかっていたが徐々に上がっているのが分かった。
雲間から槍が見え始め、
思った通り稜線から絶景が広がった。
いつものことながら登ったご褒美をいただいた気がした。

7月に入ったということもあり
夏の花が咲き始めていた。
燕というとコマクサが有名だ。
コマクサは咲いているのもあるがこれからが本番だ。

一番咲き誇っていたのがハクサンイチゲだった。
白い大きな花が初夏の北アルプスに良く似合う。
北アルプス、殊に槍ヶ岳をバックに映えていた。

北燕岳の静かな山頂では北アルプスの絶景を楽しんでいた。
すると目の前にのこのこと雷鳥が現われたのだ。
北燕岳まで雷鳥が姿を現さないかと見てきたが
全くその様子が見られなかった。
ほぼ今日も見ることができないのかとあきらめたというか
忘れていたところに雷鳥が突然現れたのだから驚きだ。
(夏スタイルでお散歩)

すっかり衣替えが終わり茶色の羽に変わっていた。
のんびり歩いていくのをそっと見送った。
全く人を怖がることなく堂々と行く姿に驚いた。
岩の陰に入っていたので覗いてみると
その岩かげでじっとしているのだった。
たぶん10分以上は動かなかったのではないかと思う。
そしてすっと崖下に降りて行ってしまった。
できれば岩の上にでも上がって槍ヶ岳をバックに
写真が撮れたらと思ったがそれはならなかった。
それでも会うことができた雷鳥!
この時期には必ず会うことができているので
今年も合うことができ嬉しかった。
ふるちゃん
燕岳・北燕岳へ 雷鳥・花と北アルプス
「雷鳥さん 今年も会えた 夏スタイル」
(ハクサンイチゲと槍)
今シーズン3回目
トータル23回目の燕方面になる。
今年は雪解けが遅く雷鳥になかなか会えなく
3週間前にも会えるかと思ったが見ることができなかった。
今日こそ会えないかと登ってみた。
また最近長雨が続き
今日は晴れ間が出るとの予報で登ることにした。
登りは雲がかかっていたが徐々に上がっているのが分かった。
雲間から槍が見え始め、
思った通り稜線から絶景が広がった。
いつものことながら登ったご褒美をいただいた気がした。
7月に入ったということもあり
夏の花が咲き始めていた。
燕というとコマクサが有名だ。
コマクサは咲いているのもあるがこれからが本番だ。
一番咲き誇っていたのがハクサンイチゲだった。
白い大きな花が初夏の北アルプスに良く似合う。
北アルプス、殊に槍ヶ岳をバックに映えていた。
北燕岳の静かな山頂では北アルプスの絶景を楽しんでいた。
すると目の前にのこのこと雷鳥が現われたのだ。
北燕岳まで雷鳥が姿を現さないかと見てきたが
全くその様子が見られなかった。
ほぼ今日も見ることができないのかとあきらめたというか
忘れていたところに雷鳥が突然現れたのだから驚きだ。
(夏スタイルでお散歩)
すっかり衣替えが終わり茶色の羽に変わっていた。
のんびり歩いていくのをそっと見送った。
全く人を怖がることなく堂々と行く姿に驚いた。
岩の陰に入っていたので覗いてみると
その岩かげでじっとしているのだった。
たぶん10分以上は動かなかったのではないかと思う。
そしてすっと崖下に降りて行ってしまった。
できれば岩の上にでも上がって槍ヶ岳をバックに
写真が撮れたらと思ったがそれはならなかった。
それでも会うことができた雷鳥!
この時期には必ず会うことができているので
今年も合うことができ嬉しかった。
ふるちゃん
2017年07月05日
講演会の山へ 竹内洋岳さん・田中陽希さん
2017年(平成29年)7月1日(土)2日(日)
講演会の山へ 竹内洋岳さん・田中陽希さん
「山へ野へ 二人のエネルギー 自分にも」
7月1日(土)
竹内洋岳さん
日本人でただ一人
8000m峰 全14座 完全登頂
松本のキッセイホールで行われた。
完全登頂から5周年記念のトークショウということだ。
5年前
最後の8000m峰、ダウラギリを登って14座登り切ったという。
7大陸最高峰を登ったという方は何人かいるが、
この14座完全踏破している日本人はただ竹内さん一人だけというのがすごい。
話は、14座の登頂などの様子を話してくれるところから始まった。
その中で、
10座目のガッシャブルムⅡ峰にアタックしている時には
7000m地点で雪崩に巻き込まれ、300m落下したそうだ。
実は日本人にとって8000m 10座目というのは鬼門だったとのこと。
登山家 山田昇さん、名塚秀二さん、田辺治さん、近藤和美さん、
全員が10座を目の前にして遭難されているとのことだ。(3人は亡くなっているそうだ)
9座目を登り10座目に登れていないということだ。
竹内さんも10座目で遭難。九死に一生を得ている。
仲間2人を亡くし、
雪崩で腰椎骨折などの重傷を負いながらも奇跡的に生還した。
骨折しているのに手足を持たれ雪の中から引っ張られるときの痛さへの叫び!
輸送されるためにシュラフに入れられ下ろされていくときの悲痛な様子!
助けられているときの様子を面白おかしく話されていたが、
今があるので話すことができたと言う。
仲間が亡くなったそのおかげで酸素を吸い自らが助かったことを知る。
各国登山隊の必死のレスキューによって生かしてもらったとの話だった。
ここに自分が今いるが、もしかしたら他の人がいて自分はいないかもしれない。
8000m峰を目指す登山家は生死を分かち合っているかのように思えた。
現役復帰は絶望的といわれる状態で、
最新の手術が行われ、背骨には5本のボルトが入り、それを2本の金具で固定したという。
お腹も、背中も切らずに背中に5本の穴と下からそれらを固定する金具が取り付けられたそうだ。
そのボルト・金具が身体に入ったまま
1年後には
8000m 何と雪崩にあった10座目ガッシャブルムⅡ峰を制覇したという。
その後ボルト・金具を身体から取り去り
今はそれを自身の机上に置いているそうだ
そのボルト・金具も講演会に持ってきて見せてくれた。
大きな5本のボルトそして金具にびっくりしてしまった。
その他エベレスト7700m付近で気を失ったときの話。
14座を目指すことになった仲間の話。
14座それぞれの山頂の特色 広い山頂。手しか置けない神の山頂。
8000mではカップ麺・プディング・コーラが良い。味が変わらない。
など
8000m峰は登り切ったが、まだまだ挑戦は続いているという。
山の名前は忘れたがその山の難しさに3回撤退してきているという。
次こそとの話をされていた。
最後にエベレストの石も持って来ているとのことで帰りがけに持たせてもらった。
気さくな竹内さんお話はあっという間に2時間過ぎていた。
7月2日(日)
田中陽希さん

安曇野市市民講座での講演
「百名山」「二百名山」人力踏破。
NHKでその様子を紹介され
一躍 人気者、有名人、すごい人、超人になってしまった方。
職業は
プロアドベンチャー・レーサー
最初にそのアドベンチャー・レースの様子を話してくれた。
これはNHKでもよく放送されているのでその過酷さは知っていた。
それでも不眠不休、暑さ、寒さそして痛さに耐えてレースに臨む姿はすごかった。
人間、48時間は眠ることなく動けるそうだ。
そして3時間の睡眠さえ取れれば十分に活動することができるとのことだった。
どうしても睡魔に襲われるとカヌーの上でも歩きながらでも寝てしまうとのこと。
そして5分の睡眠が次へのエネルギーとなるとのことも。
百名山人力踏破では、
最後の利尻岳への挑戦が本当に大変だったようだ。
それは冬の荒波を越えるカヌーでの出来事で、
荒れるオホーツクの海でカヌーが転覆!
あわや遭難かという大変な状況に置かれたことだそうだ。
そして伴走していた方がその状況で救命道具を投げようとしたところ
田中さんと同時にが海に投げ出された帽子を拾おうとする田中さんの姿を見て
まだ余裕があるぞと救命具を投げ出すのをやめたそうだ。
ここで投げているともしかすると人の助けを受けたことになり
そこで人力百名山踏破が終わっていたかもしれなかったというのだ。
すべてが完結して目標達成になる百名山踏破
それが最後に1座を残し終了してしまったかもしれないという。
また1座目の宮之浦岳で終了していたということもあったかもしれないと話していた。
1座目で終わっていれば番組にもならずこの計画はなかったことになっていたともいう。
利尻岳の登頂はそういう意味でも達成感がすごくあったと話してくれた。
結局、目標を持ったら最後までやりきらないと、そこで終わりなのだ。
二百名山については
応援がすごかったことに驚いたそうだ。
どこに行っても声をかけられ大変だったこともあったが
最後の方ではそれを力に、人との交流もと余裕が出たそうだ。
それにしても登頂するとそこに拍手して待ち構える人だかりには
困惑したのではないかと思う。
私も実は興味本位になってしまうのか大天井岳まで会いに行ってきている。
だから何も言える立場にないのだが。(この時のことは「山へ、スキーへ」のどこかに記載)
山の上というのは本来
自分の力で登り、自分の世界を少しでも持ちたいと思うところのような気がしている。
私だけかもしれないが、
そんなことを考えると待ちかまえられていると
登頂の喜びもどこかにおいてきぼりにされる感じがしてならない。
「そっとしておいてほしい」という気持ちにならないかなと思うのだ。
そして二百名山のゴール佐多岬では数百人の待ち構える中
最後の一歩を印した。
その時は
岬の先端で 5分間沈黙してしまったそうだ。
そして
「終わったな、終わっちゃったなという感じ…」とコメントをテレビでは話した。
百名山と違い。達成感というより何かが残ってしまったという話だった。
それでも2年続けて「百名山」「二百名山」人力踏破のエネルギーはすごい。
最後に
「一歩踏み出す」という言葉を残してくれた。
何事も一歩踏み出す勇気が必要ということ。
一歩踏み出さないと何事も始まらないということ。
挑戦することの大切さと、そのためには何らかの一歩を踏み出す必要があるのだ。
どんな挑戦でもいい、挑戦しようという話だった。
さらに最後の最後に
何と
2018年1月スタート
三百名山挑戦!
それも百名山・二百名山も再び登りながらというのだ!
会場全体から大きな拍手が自然と起きた。
三百名山も挑戦してくれないかなと思っていた矢先
そして何とそれ以上の百名山、二百名山も加えての人力踏破に
私も興奮してしまった。
長野県の周りには百座近くの三百名山がひしめいている。
来年はこの長野県にもまたその姿を見せてくれると約束してくれた。
楽しみで仕方ない!
二人の公演を二日続けて聞くことができた。
二人とも私たちの心に刺激を与えてくれる。
このエネルギーを・勇気を・考え方を忘れないように「山へ、スキーへ」活かしたい。
ふるちゃん
講演会の山へ 竹内洋岳さん・田中陽希さん
「山へ野へ 二人のエネルギー 自分にも」
7月1日(土)
竹内洋岳さん
日本人でただ一人
8000m峰 全14座 完全登頂
松本のキッセイホールで行われた。
完全登頂から5周年記念のトークショウということだ。
5年前
最後の8000m峰、ダウラギリを登って14座登り切ったという。
7大陸最高峰を登ったという方は何人かいるが、
この14座完全踏破している日本人はただ竹内さん一人だけというのがすごい。
話は、14座の登頂などの様子を話してくれるところから始まった。
その中で、
10座目のガッシャブルムⅡ峰にアタックしている時には
7000m地点で雪崩に巻き込まれ、300m落下したそうだ。
実は日本人にとって8000m 10座目というのは鬼門だったとのこと。
登山家 山田昇さん、名塚秀二さん、田辺治さん、近藤和美さん、
全員が10座を目の前にして遭難されているとのことだ。(3人は亡くなっているそうだ)
9座目を登り10座目に登れていないということだ。
竹内さんも10座目で遭難。九死に一生を得ている。
仲間2人を亡くし、
雪崩で腰椎骨折などの重傷を負いながらも奇跡的に生還した。
骨折しているのに手足を持たれ雪の中から引っ張られるときの痛さへの叫び!
輸送されるためにシュラフに入れられ下ろされていくときの悲痛な様子!
助けられているときの様子を面白おかしく話されていたが、
今があるので話すことができたと言う。
仲間が亡くなったそのおかげで酸素を吸い自らが助かったことを知る。
各国登山隊の必死のレスキューによって生かしてもらったとの話だった。
ここに自分が今いるが、もしかしたら他の人がいて自分はいないかもしれない。
8000m峰を目指す登山家は生死を分かち合っているかのように思えた。
現役復帰は絶望的といわれる状態で、
最新の手術が行われ、背骨には5本のボルトが入り、それを2本の金具で固定したという。
お腹も、背中も切らずに背中に5本の穴と下からそれらを固定する金具が取り付けられたそうだ。
そのボルト・金具が身体に入ったまま
1年後には
8000m 何と雪崩にあった10座目ガッシャブルムⅡ峰を制覇したという。
その後ボルト・金具を身体から取り去り
今はそれを自身の机上に置いているそうだ
そのボルト・金具も講演会に持ってきて見せてくれた。
大きな5本のボルトそして金具にびっくりしてしまった。
その他エベレスト7700m付近で気を失ったときの話。
14座を目指すことになった仲間の話。
14座それぞれの山頂の特色 広い山頂。手しか置けない神の山頂。
8000mではカップ麺・プディング・コーラが良い。味が変わらない。
など
8000m峰は登り切ったが、まだまだ挑戦は続いているという。
山の名前は忘れたがその山の難しさに3回撤退してきているという。
次こそとの話をされていた。
最後にエベレストの石も持って来ているとのことで帰りがけに持たせてもらった。
気さくな竹内さんお話はあっという間に2時間過ぎていた。
7月2日(日)
田中陽希さん
安曇野市市民講座での講演
「百名山」「二百名山」人力踏破。
NHKでその様子を紹介され
一躍 人気者、有名人、すごい人、超人になってしまった方。
職業は
プロアドベンチャー・レーサー
最初にそのアドベンチャー・レースの様子を話してくれた。
これはNHKでもよく放送されているのでその過酷さは知っていた。
それでも不眠不休、暑さ、寒さそして痛さに耐えてレースに臨む姿はすごかった。
人間、48時間は眠ることなく動けるそうだ。
そして3時間の睡眠さえ取れれば十分に活動することができるとのことだった。
どうしても睡魔に襲われるとカヌーの上でも歩きながらでも寝てしまうとのこと。
そして5分の睡眠が次へのエネルギーとなるとのことも。
百名山人力踏破では、
最後の利尻岳への挑戦が本当に大変だったようだ。
それは冬の荒波を越えるカヌーでの出来事で、
荒れるオホーツクの海でカヌーが転覆!
あわや遭難かという大変な状況に置かれたことだそうだ。
そして伴走していた方がその状況で救命道具を投げようとしたところ
田中さんと同時にが海に投げ出された帽子を拾おうとする田中さんの姿を見て
まだ余裕があるぞと救命具を投げ出すのをやめたそうだ。
ここで投げているともしかすると人の助けを受けたことになり
そこで人力百名山踏破が終わっていたかもしれなかったというのだ。
すべてが完結して目標達成になる百名山踏破
それが最後に1座を残し終了してしまったかもしれないという。
また1座目の宮之浦岳で終了していたということもあったかもしれないと話していた。
1座目で終わっていれば番組にもならずこの計画はなかったことになっていたともいう。
利尻岳の登頂はそういう意味でも達成感がすごくあったと話してくれた。
結局、目標を持ったら最後までやりきらないと、そこで終わりなのだ。
二百名山については
応援がすごかったことに驚いたそうだ。
どこに行っても声をかけられ大変だったこともあったが
最後の方ではそれを力に、人との交流もと余裕が出たそうだ。
それにしても登頂するとそこに拍手して待ち構える人だかりには
困惑したのではないかと思う。
私も実は興味本位になってしまうのか大天井岳まで会いに行ってきている。
だから何も言える立場にないのだが。(この時のことは「山へ、スキーへ」のどこかに記載)
山の上というのは本来
自分の力で登り、自分の世界を少しでも持ちたいと思うところのような気がしている。
私だけかもしれないが、
そんなことを考えると待ちかまえられていると
登頂の喜びもどこかにおいてきぼりにされる感じがしてならない。
「そっとしておいてほしい」という気持ちにならないかなと思うのだ。
そして二百名山のゴール佐多岬では数百人の待ち構える中
最後の一歩を印した。
その時は
岬の先端で 5分間沈黙してしまったそうだ。
そして
「終わったな、終わっちゃったなという感じ…」とコメントをテレビでは話した。
百名山と違い。達成感というより何かが残ってしまったという話だった。
それでも2年続けて「百名山」「二百名山」人力踏破のエネルギーはすごい。
最後に
「一歩踏み出す」という言葉を残してくれた。
何事も一歩踏み出す勇気が必要ということ。
一歩踏み出さないと何事も始まらないということ。
挑戦することの大切さと、そのためには何らかの一歩を踏み出す必要があるのだ。
どんな挑戦でもいい、挑戦しようという話だった。
さらに最後の最後に
何と
2018年1月スタート
三百名山挑戦!
それも百名山・二百名山も再び登りながらというのだ!
会場全体から大きな拍手が自然と起きた。
三百名山も挑戦してくれないかなと思っていた矢先
そして何とそれ以上の百名山、二百名山も加えての人力踏破に
私も興奮してしまった。
長野県の周りには百座近くの三百名山がひしめいている。
来年はこの長野県にもまたその姿を見せてくれると約束してくれた。
楽しみで仕方ない!
二人の公演を二日続けて聞くことができた。
二人とも私たちの心に刺激を与えてくれる。
このエネルギーを・勇気を・考え方を忘れないように「山へ、スキーへ」活かしたい。
ふるちゃん