2025年03月24日

登り尾 旧天城山隧道北園地より&石廊崎 460座目/日本の山1000

2025年(令和7年)3月22日(土)

登り尾 旧天城山隧道北園地より&石廊崎 460座目/日本の山1000



ここから写真
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旧天城山隧道 歴史の重さを感じる


伊豆半島の珍しい山名の「登り尾」へ。
謂れは調べるが分からない。
二階滝駐車場からの往復が一般的のようだが、旧天城山隧道を歩いての登り尾を目指した
昨年の猿投山以来の「日本の山1000」となった。

明治38年伊豆市(旧天城湯ヶ島町)と河津町をつなぐトンネルとして開通。
このトンネルの完成により、難所の天城超えは解消された。
踊子歩道の名所、幅4.12m、延長445.5mの国内で最長・最古の石造道路隧道として、平成13年に初めて国の重要文化財となった。
石積みに趣があり、歴史の重みが感じられ、薄ら明かりに照らされる天井、舗装道が神秘的。
暖かな日ではあったが冷たい空気を全身に浴び通行した。

隧道を出ると寒天橋までダートな車道を下り、寒天車道へ
寒天車道は鋪装された道でくねくねと長い。
足に負担もあり、短縮できそうな所では荒れた急斜面を登る。

杉林を登る千葉のS氏


分かり難い登り尾登山口からは古い木橋を何本か渡り登る。
杉林に囲まれた登山道は明確で登りやすいが、周囲にスギ花粉が舞うのが分かる。
新山峠へ登りあげるとここからが尾根道となる。

山頂まで広く緩やかな尾根道が続き、つい登山道を外すことも。
所々に付けられた赤や青のテープを見つけながら登る。
足下はふわふわでほとんど踏み跡は分からず、マリモのような苔が密集した場所もあった。

登り尾1057m山頂


急登もない尾根を進み広い山頂へと到着。
雑木に囲まれた山頂からは残念ながら展望はなかった。
ただ風は静まり穏やかな天候に気持ち良い山頂でひととき過ごせた。
今回の登り尾で伊豆の「日本の山1000」三山を完登した。

安良里港で
今回の伊豆では登り尾の登頂が目的のひとつ、もう一つN氏の船の整備もあった。
船底に付く蠣(カキ)の除去とペンキ塗りなどだ。
今まで何度か乗船させてもらい、海からの富士山などの景色を楽しんだりマグロ、シイラなど釣ることもできた。

船底のペンキを塗りおえた


本来は2日ほどかかる整備が1日で終了し、登り尾へ一日早く登ることができた。
そこで一緒に整備をしていた千葉に住むS氏と登り尾に登ることに。
シーズンに入れば毎月一回はトライアスロンの大会に出場しているという方だ。
ただ山はこれからということのようでお試しの山登りでもあった。

私もかつてトライアスロンをしていたので話も合い登ることができた。
やはり足取りは軽く登り、下る姿があった。
先を歩いてもらったが私に合わせてもくれたようで大変歩きやすく快適な登り尾の山行となった。

石廊崎 最先端


きっと今回の山登りで山へのきっかけを得たのではないか。
山道具をそろえていきたいようなことも話していた。
千葉にも「日本の山1000」の山々がまだあるので是非一緒にと言うことでお願いをしておいた。

伊豆半島は狭いようで広く、自然豊かな所だ。
伊豆半島の最先端、灯台でもよく知られている石廊崎も海風の強風の中歩くことができた。
海がよく知られているが天城山や今回登った登り尾などいい山もたくさんある。
歴史、文化的にも豊かで旧天城山隧道を通りその一端を感じ取ることができた。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 21:35Comments(0)こんなことが!日本の山1000

2024年12月21日

銭壺山 絶景 下瀬美術館 449座目/日本の山1000

2024年(令和6年)12月4日(水)

銭壺山 絶景 下瀬美術館 449座目/日本の山1000




写真はこちらから
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銭壺山公園から 瀬戸内・周防大島方面


下瀬美術館に触れたいところだが、まずは銭壺山です。
車で銭壺山公園まで上る。
まさか100mで山頂とは思わなかったが、まさにあっという間の登頂となった。

絶景が待っていた銭壺山
瀬戸内海の静かな海面、波一つ見えない海に浮かぶ島々、心に何かを感じさせるような景色が広がっていた。

周防大島方面、島に渡る橋も確認できた。
海側の反対には山々が波のように連なり、オレンジ色の太陽が徐々に沈む光景に出会えた。
夕焼けが美しいとの評判がある公園からは、徐々に暮れゆく瀬戸内海の移り変わる様子を眺められた。

その銭壺山公園で一晩を過ごした。
寒い夜でなかなか寝付けないので空を眺めるとオリオン座が輝き、島の海岸沿いには明かりがともる様子が眺められた。
朝方は雲が出ていたのでうっすらだが朝焼けも見られた瀬戸内海だった。

P.S.下瀬美術館について
宮島・弥山から銭壺山へ来る途中、大竹市の下瀬美術館に寄ってきた。
前日の報道により世界的な建築賞「ベルサイユ賞」で、「世界で最も美しい美術館」に選ばれたと知った。
これは近くに来たので良いチャンスと訪れた。

自然と美術館が一体となる不思議な感覚に


「アートの中でアートを観る」坂 茂氏が手がけた美術館。
美術館そのものが芸術作品ということで、エミール・ガレなどの作品も素晴らしいが建物自体に触れてみたい。
瀬戸内の静かな海、そして島をイメージさせる移動式展示室。
カラフルに色彩を施されたコンテナ様式の展示室が水面に浮く。

移動式展示室と宮島・弥山


通路を歩いていると自分もその水面を歩く感覚が面白い。
全面鏡の建物が映る景色を取り込み自然豊かな不思議な空間を醸し出す。
エミール・ガレの庭、自然の海、山そして工場地帯を借景して、正に作品としての美術館として鑑賞することができた。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 06:00Comments(0)こんなことが!日本の山1000

2024年06月18日

田立の滝 天河の滝・不動岩へ

2024年(令和6年)6月6日(木)

田立の滝 天河の滝・不動岩へ




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天河の滝


上高地行きも考えていたが、天候など考え信州の秘境、行ったことのない田立の滝へ。
安曇野からでも3時間はかかる南端の南木曽町、同じ長野県でも遠い。
単なる滝巡りで、いくつかの滝があり「そうめん滝」まで行ければと軽い気持ちで歩き始めた。

最初は沢沿いを快適に歩くが、登り続ける道に、これは登山に近いなと思うようになった。
淡々と登り崖沿いに木橋が出てきた。
とんでもない危険な木橋ではないか、同行S氏は最初の危険な木橋を安全に行くと良い這いずり渡った。

ちょい恐の橋が続く登山道


整備された安心な梯子、橋もあるが、不安定な橋を次から次へと渡り通らなければならず、歩くスピードは落ちた。
螺旋滝は下山時として天河滝を目指すこととした。

最初の滝は樹間から見られた洗心滝
その後沢沿いに急登をしていくことになる。
霧ヶ滝が目の前に現われ、水しぶきのすごさに感動しつつ登り続ける。

霧ヶ滝


とうとう現われたのが一番目的の天河滝だ。
迫力!雄大!壮麗!
白い岩肌を力強く流れ落ちる迫力。
岩の大きさ、水量に圧倒される雄大な滝。
周りの新緑も日に照らされ明るく壮麗と言っても良いのでは。
もっと大きく迫力のある滝は数多くあるだろうが、心引きつけられる滝だと感じた。

そうめん滝までは行こうと「ちどり桟橋」なるジグザグの木橋を登る。
この橋の怖いこと怖いこと。
慣れると恐怖も治まったのだが足下の木橋の間からは沢・崖が見え、今にも折れるのではないかと思われる。

滝ヶ瀬 優雅だ!


下りの心配もあったが、登りきると穏やかな龍ヶ瀬に出た。
不動滝の上部にもなっているので、水しぶきを上げて落下していく流れも身近に見られた。
少し登ると雲上橋、そして「そうめん滝」、まさに小さな滝がいくつもあり細いしぶきが流れ落ちていた。
激しい滝の連続でもあったのでほっとする。

ここで引き返し雲上橋から不動岩へと向かった。
不動岩展望地から見上げたときは赤茶っぽい岩壁で登れるのだろうかという思いもあったが、その岩壁の上に急登して難なく到達した。
木曽川の流れ、その先に山頂を雲に覆われた恵那山がどんと見られた。

不動岩 下山時撮影


天然公園まで足を伸ばせば御嶽、中央アルプスなどの展望もあるとのことだったが、不動岩までとして引き返した。
下山時に螺旋滝を登山道を外れ沢まで下りて見てきた。
「く」の字の反対から「く」の字へとくねくね落ちていた。

螺旋滝


のんびり滝巡りをしながらの歩きを考えていたが、思いがけない登山となった。
見られた滝は素晴らしく、木橋のきつい歩きと共に印象づけられた田立の滝巡りとなった。

ふるちゃん  


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2024年02月26日

爺ヶ岳ソリ 孫2人

2024年(令和6年)2月24日(土)

爺ヶ岳ソリ 孫2人

ちびっこトロイカ



三連休の中日、そして唯一好天の予報が出ていた。
しかし悪天候ではないが、曇り空の寒い日だった。
孫との約束は、年長の男子とは初スキーをやってみよう、そして年少の女子とはソリ遊びをしようとのことだった。

朝一番で行くはずだったが、この寒さ故、前日までの暖かさで緩んだ雪がガチガチに固まっているのではないか。
昼近くに行き、緩んだ雪の方が滑りやすいだろうと11時少し前に自宅を出た。
30分ほどで爺ヶ岳スキー場に到着。

昼頃もう帰る車もありかと思いきや満車状態。
第1,2は満車、第3の奥まで案内されようやく止めることができた。
まさかの爺ヶ岳スキー場!
今まで見たこともないような大盛況、賑わいに驚くしかない。

第3駐車場も満車状態!


まずはスキーのレンタルをと思いきや、一カ所は団体貸し切り、もう一つのレンタル屋さんは長蛇の列ができているではないか。
雪質を見るとやはり気温が上がってきていないのでガリガリの凍り着いたような斜面。
初めてのスキーには向いていない雪面に、ソリで良いか年長の孫に聞くと、ソリが良いと言うではないか。

自宅から持ってきたソリと年長用にスノーレーサーをレンタルした。
早速ちびっこトロイカに乗り、ちびっこゲレンデの最上部へばあばと2人の孫は昇った。
私は脊柱管狭窄症、腰が不安で下で見守ることに。

ゲレンデ状態は最悪のアイスバーンに近いガリガリの硬い斜面、そこに雪玉がゴロゴロしている。
滑り下りてくる他の人、子供を見ているとかなりスピードが出て転ぶ、ネットに突っ込むコントロールが難しいように感じた。
いきなりソリを上部から滑り始め、もしブレーキが利かない状態にでもなったらと恐怖を感じた。

そこで携帯で連絡、ブレーキを最初からしっかりかけてスピードを出さないように滑るようにと指示を出した。
スノーレーサーの男子は、しっかりブレーキを踏みゆっくりと滑り下りてきた。
それでも下でブレーキから足が外れぐっとスピードが出てずっこける。
ソリの女子は、ばあばとソリに乗り、ゆっくりと滑り下りてきた。

男子は怖かったと言いつつもまだ行くと繰り返し上に上がり何度か滑り下りた。
徐々にコントロールもできるようになりスピードは上がってきたが、雪面がガリガリの状態は変わらないのでもう一歩楽しさがないようだった。
女子の方は上まで上がらずに坂の途中からばあばと滑る。
それでもあっという間にスピードが出る硬い雪面に、もっとやるとの言葉は出ては来なかった。
一人ではとても滑らす雪面ではなかった。

スノーレーサーで慎重に滑り下りる孫


数本滑り、女子はもう良いと言って、先に私と車に戻り待つことになる。
男子はその後も少し滑り、お腹が空いたと滑り終えた。

まずは爺ヶ岳の賑わいに驚く。
雪面の悪さに孫の初スキーはやらない方が良いだろうとの判断。
これは正しかったと思う。
ちびっこゲレンデも楽しめる雪質ではなくソリの滑りも見ているのが怖い状態。
気温も上がってこない状況、芯から楽しめたかというとストレスのたまる雪遊びだったのかな。
孫達には晴れて、柔らかな雪の中で自由に楽しんでほしいという気持ちがあり、それはもう来シーズンか。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 12:06Comments(0)こんなことが!

2024年02月12日

病・蕎麦会 2月の例会

2024年(令和6年)2月11日(日・建国記念日)

病・蕎麦会 2月の例会

打ち立て蕎麦の味は最高!



京都から帰り、体調が一気に悪くなってしまった。
脊柱管狭窄症ではなく、久しぶりに高熱が出てしまった。
京都にいるときから少し調子が悪い感じはして、帰りの車の運転は家内に任すところが多くなっていた。

自宅に帰った4日(日)、その夜は37度台の熱が出て倦怠感と咳が酷くなってしまった。
目を覚ますことが多く久しぶりに苦しい一夜を過ごした
これほどつらい身体は退職してからはなかったように思う。

6日(火)大雪の朝、かかり付けの医院へ行き、解熱と咳を鎮める薬を処方してもらった。
翌日には熱も下がり、咳は少し出るが回復に向かった。
ということで久しぶりの発熱、家内も同じような症状になりダウンしていた。

蕎麦会が迫っていた。
体調を崩していたので飲み会は不参加で、打ち手が少ないので、打つだけに参加することとした。
ほほ素人の私でも、数だけは打ってきているのでちょっとは役立つだろうと。

蕎麦粉500g、小麦粉200g、水350ml
蕎麦粉は奈川の物を使う。
自分たちで育ててきた蕎麦粉は、数量が少なくすでに終了してしまったとのこと。
奈川の蕎麦屋、この辺りでは有名。
見た目は青みのかかった美しい白色をしている。

ふるいにかけた蕎麦粉は輝く!


蕎麦粉と小麦粉を良く混ぜ合わせたところに、徐々に350mlの水7割程度を注いで行く。
ここが大切で、だまができないように時間をかけ粉状態にする。
粉状態になったところで、残っている水を入れて混ぜ回す。
すると、大きな物だとピンポン球ぐらいの塊ができ、コロコロ玉ができてくる。
あとはそれを練り、大きな塊にして行く。

今回もうまく捏ねることができた
延ばしは課題が残る。
延ばし方には円く広げていく方法と、四角目に広げていく方法があるようだ。
本当のところは、素人同士でよく分からないが。

四角く延ばして行くと均等に切ることができる良さがある。
折るときも楽だし、切れ端が少なく済む。
と言うことで、四角目に広げようと2回とも挑戦するが楕円形になってしまった。

それでも2本ののし棒を使い、サイドに厚めの部分が出て来るので意識的に半分巻き取っておき、2本目ののし棒で四角くなるよう延ばして行くと良いとのことだ。
言葉で表現は難しいができるだけ四角目に延ばそうと試みた。
なかなか思うように上達しないが、今後は延ばした時四角い形の生地を目指す。

切るのはだいぶ力まずにできるようになっている。
見た目は蕎麦屋さんの蕎麦には負けるが、旨さから言うと最高の一品だ。
打ち立ての蕎麦は美味い!

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 09:42Comments(0)こんなことが!蕎麦

2024年02月09日

京都 パート2 「光る君へ」縁の宇治・上賀茂

2024年(令和6年)2月3日(土)

京都 パート2 「光る君へ」縁の宇治・上賀茂

辻利 抹茶プレート



孫の熱も下がり、一日京都観光へと出る。
今年はNHK大河ドラマ「光る君へ」の舞台となっている京都
紫式部や代表作「源氏物語」縁の場所へとした。

午前中は「源氏物語」の後半部、「宇治十帖」の舞台となっている宇治へ。
平等院の近く、宇治橋を挟んで反対側にある「源氏物語ミュージアム」を訪れた。
中学、高校で歴史の授業の中で、平安時代に紫式部が「源氏物語」の中に高貴な色男光源氏を登場させて描いた物語程度の知識だ。
紫式部、そして「源氏物語」について知らないといってもいい。

今回知り得たことは長大な「源氏物語」は54帖からなり、光源氏亡き後最後の10帖が宇治での話と言うことだ。
「宇治十帖」というのだが直ぐには理解できない人間関係の色恋、そして悲しい話も織り込まれている。
後世の文学にも影響を与えている世界最古の長編小説という。

源氏物語ミュージアム


ミュージアムの中はと言うと豪華絢爛な平安貴族の生活を垣間見ることができる。
衣装は重たそうな十二単は正装で優美だったようだが、ほとんど室内で過ごすため普段着なる小袖をまとっていたという。
短歌に親しみ、香道にも、双六、カルタなど教養・遊びの様子を知ることができた。
短時間な映画なども放映されていて「源氏物語」のこと、貴族の生活を知る手助けをしてくれる。

宇治川


「源氏物語」に触れた後は宇治川を渡り「辻利」で一休み
抹茶づくしのアイス、クッキー、ロールケーキ、わらび餅のプレートに大満足。
家内は温かなお餅入抹茶ぜんざい。家でもできそう!

午後は上賀茂神社へ。
京都駅、二条城横を通り、そして御所付近を北上する。
混み合い心配していた駐車場も余裕がありすんなり入場できた。

上賀茂神社本殿


賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)が正式名のようだ。
京都最古の神社でもあり、世界文化遺産になっているとのことだった。
古来より天皇・斎王も参拝する本殿・権殿、そのほか24もの社に神様が祀られている境内だ。

紫式部歌碑


紫式部と上賀茂神社戸の関わりはと言うと。
当時、紫式部そして藤原道長も参拝している神社だ。
紫式部は縁結びの神を祀る片山御子神社で歌を残している。
近くに歌碑もあり、
「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし」

広い境内、2月3日節分の日でもあった。
ちょうど豆まきの場所に居合わせ福を頂いていこうということになった。
名取祐子さんが豆まきのゲストになっていた。
何人もの巻き手により、袋入りの福がたくさんまかれるがなかなか取れない。
諦めた頃、名取さんが投げた福が目の前に飛んできた。
わしづかみでキャッチ、大満足の福を得られた。
家内は私より後方、落ちてくる福を足下で3袋拾ったとのこと。
あれ!

上賀茂神社 豆まき会場


福は無理につかみに行かなくても待てばやってくるのかな。
息子の家に戻り、恵方巻き、福豆を頂いた。
歳の数だけ食べるようにあるが、もう食べ切るのは諦めている。
家の中では鬼にタマゴボーロを豆の代わりぶつけ、その後シベリアンハスキーのR丸に拾ってもらった。
負けずに4歳児も拾い食すので、皆で大笑い。

ふるちゃん  


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2024年02月08日

京都 パート1 孫の発熱

2024年(令和6年)2月1日(木)~4日(日)

京都へ パート1 孫の発熱  

R丸 後で戯れる2人


急遽!京都へ行くことになる。
孫が熱を出し、共働きの両親が2日は休むことができず面倒見てほしいというのだ。
今までも何回かあり、それは京都観光も兼ねられると1日(木)の午後を使い京都へ無事着く。

二男夫婦が住む家には熱を出した小4年生と賑やかな4歳児の兄弟。
さらにR丸というシベリアンハスキーが同居する。
ほぼ三兄弟と言って良いほどの仲でR丸は兄の小4を正に兄と、4歳児を弟と思い生活している。

小4の熱は37度台。
1日午前中に検査をしたところインフルエンザは陰性だったという。
コロナについてはショッピングセンター内にある小児科のために検査していないとのこと。へぇー!
単なる風邪だろうとのこと。熱はあるが元気は良い。さすが小学生?!
さすがに明日は登校させられないとのことで爺婆が子守役となる。

2日(金)子守の一日
一日中寝ている小4年は37度熱があっても何かをしたがる。
ゲームはさすがに控えて、アニメを見ることにする。
「ズートピア」が見たいとのことで、午前中は一緒に鑑賞することとした。
午後はさすがに横になり寝てしまう。そして大汗をかき熱が引いた。
爺婆の子守は大成功!

それにしても熱が引くとさらにパワーアップする。
弟の4歳児が保育園から戻ると大騒ぎ、一番冷静なのは二番目のR丸だ。
ひとまず何時もの家族の姿が戻り、爺婆は3日(土)は京都観光に出ることにした。


ふるちゃん  


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2024年01月24日

「スキーへ」暗雲 脊柱管狭窄症

2024年(令和6年)1月24日(水)

「スキーへ」暗雲 脊柱管狭窄症

暗雲か


12月に発症した脊柱管狭窄症による坐骨神経痛が治まったかと思った。
右足の痛みはなくなり問題なく「山へ、スキーへ」と行動していた。
ところが1月10日頃から痛みはないのだが、右足親指辺りのしびれと、右足首に力が入らず思うように曲がらない。

別の症状が出てしまったので、かかり付け医に17日の予約が取れた。
12月に処方してもらっている薬は飲み続けている。
右足に違和感はあったものの、痛みもなく動けるということで無理をしていたのか。
長峰山・光城山そして何度かスキーへと動けていた。

17日の診断
足の感覚をチクチクする物で左右擦られる。
右足の違和感、曲がりにくい足首、そしてしびれが酷くなったことを話す。

MRIの写真を見ながらこのぐらいの腰の様子ならば手術することもなく改善されるはず。
だったが悪化・進行しています。
脊柱は真っ直ぐでないし、丈夫には見えない腰ですね。

もう一度一週間後、MRI・X線も撮りましょうということになった。
さらにコルセットをした方が良いと診断された。
薬も今まで飲んでいるものに加えて処方しておきます。
ということになり、一週間経ち具合、MRI検査によっては手術と言うこともあります。
という診断になった。

一大事!

診察から2日後にはコルセットが送られてきた。
3万円近いオーダーメイド。(7割は返金あり)
装着するとがっちり腰が守られる感じはするが、気持ちはショック!

今まで飲んでいた薬。
カロナール、プレガバリンは就寝前、疎経活血湯は朝夕食前2回
そこに加えて今回
リマプロストアルファデクス、メチコバール 食後3回 3日分だけプレドニン、レバミピド(胃を守る)

一週間、酒も断ち薬を忘れることなく飲み続けた
運動は朝の体操と夕方のストレッチぐらいにして、スキーは目の前から消えた。
気が抜けて、目的を失ってしまったような、情けない気持ちになる。
それでも「山へ、スキーへ」は諦めない気持ちを持とうと言い聞かせる。
ということで、この文章を書き綴り、動ける自分になるよう記録しておこうと思っている。

今回右足首が上がりにくい、右足の筋力が弱まっている、それに右足の違和感が1週間でどうなったか。
目に見えて回復しているのではないが少し上がり、力も付いてきている感じがあり、違和感が軽減されてきている。
右足指、親指から3本目ぐらいは痺れ、もやっとした感じが残っている。

今日、24日医者に診てもらう
まずMRI、そしてX線も撮る。
15分間のMRI撮影の後、6枚のX線(立って正面・側面・寝て正面・側面・腰を曲げ・腰を反って)撮影。

さて診断は
昨年12月に撮影した画像と脊柱の様子は変わりないとのこと。
と言うことは、2年ほど前に撮った時とも変わらない腰ということになる。
腰椎で神経が圧迫されているところが変わり右に左にと痛みなど出る、また痛みが引くという繰り返しになっているようだ。
私の腰椎は傾いてもいて、痛みなど発症しやすいとのこと。
今回改善気味ということで、手術はしたくないですね、と言われた。

それでも痛みなど繰り返すことは必ずあるので考えてみるのもどうかと。
内視鏡の簡単な手術もあるが、腰椎の傾き、そのためのずれもあるとのことで、「山へ」と考えているのならば金属固定した方が良い。
術後3ヶ月ほどのリハビリで普通の生活に戻ることができるとのこと。
と診断し、一ヶ月後に様子を見せてくださいとのこととなった。

医者としては手術に踏み切った方が今後のために良いだろうとの含みがあった。
私としては痛みが引き、足首も曲り、違和感もほとんど無いので踏み切れない。
この一ヶ月間に少し動き様子を見るのと、整体にしばらく行ってないので診てもらおうかなとも思っている。

再び痛み、足に力が入らないようになったときには手術に・・・。
できれば手術は避けたいが、歳も歳、痛みなど繰り返す不安定な腰では思い切った行動はできない。
となると思い切った手術もありか。
悩む!


ふるちゃん  


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2023年12月21日

光城山 神明宮より 午後はMRIへ

2023年(令和5年)12月20日(水)

光城山 神明宮より 午後はMRIへ




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光城山山頂 有明山が見える


坐骨神経痛トレーニングで長峰山・光城山へ5回目。
神明宮から登り、田沢城跡コースで下山。
晴れて冷たい風が吹き、登るには快適な一日だった。

神明宮


神明宮・田沢城跡両コースとも倒木が多い。
神明宮コースでは登山道が何本もの倒木が重なり、斜面の藪歩きになる箇所があった。
田沢城跡コースも多くの倒木が登山道周辺に見られた。
新しく切られたばかりの木、道の階段には真新しい杭が打たれるなど整備されていた。
そして倒木が頭の上に何本か横切る、迫力の倒木トンネルをくぐる。

倒木のトンネル


静かな光城山。
いつもならば賑わう山頂も、ちょうど一人っきりとなり切り株に腰掛け景色を楽しんだ。
寒々しい安曇野の先には雪雲だろうか、雲に隠れた北アルプス。
ただ安曇野のシンボル有明山は黒々とその姿を見せていた。

ほとんど歩く人のいない登山道。
足下不確かなふかふかの落ち葉、ざらざらな砂地の滑る斜面を坐骨神経痛も忘れ歩けた。
12月に入り5度目の長峰・光城山で足腰に自信が持てた。


MRI検査へ

光城山に登り、足腰の痛みは差程なく調子は良い。
ただ両足の前がかなり痺れてはいる。
朝方痛むが、それも徐々に軽減しているのは確かだ。

予約してあった午後のMRI検査に行ってきた。
2度目のMRI検査だが、トンネルに入りじっとしているとカチカチ、ドドドドと奇妙な音は嫌な感じだ。
10分ほど入っていたのだろうか、トンネルから抜け出たときはほっとした。

次はその画像を見ながらの診察になる。
2年ほど前に撮ったMRI画像と比べながらDr.が話をしてくれた。
写真で見る限り、腰椎の状態に変化は見られないという。
前回と同じ状態で狭いところが圧迫され痛みが出ているのだろうとのこと。

この状態で手術をする人はまずいないし、薬を飲んで様子を見るようにとのことだった。
痛みは繰り返すとも言われ、痛みが出ていないときの予防が大切なようだ。
私からお願いもし、3ヶ月分のカロナール、プレガバリンそして漢方疎経活血湯を出していただいた。
痛みがなくなれば飲まないように、3ヶ月後の予約も念のためにと入れてくれた。
3ヶ月後全く問題なければ、キャンセルして良いとのことだった。

前回も3ヶ月ほどで全く痛みがなくなり、「山へ、スキーへ」と繰り出した。
もちろん痛いときにも動いていたので、今回も無理なく動きたいと考えている。
筋力、柔軟性をできるだけ維持していきたいと思っている。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 21:22Comments(0)こんなことが!

2023年12月19日

長峰山・光城山 坐骨神経痛トレーニング

2023年(令和5年)12月18日(月)

長峰山・光城山 坐骨神経痛トレーニング




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長峰山山頂 常念岳など展望


ぐっと!寒さが増した
昨日は安曇野の山沿いでも雪が舞っていた。
青空の下、冷たい空気に身が引き締まる中歩くことに。

坐骨神経痛、その体力維持のトレーニングが続く。
今日は自転車を使い、長峰山と光城山稜線をつないで歩いた。
光城山登山口に自転車を置いて、長峰山登山口へ。

天気は良いが寒さを感じながら登り始める。
いつもならば中間地点で汗が出て来るところだが全くその気配もない。
ウインドブレーカーも脱ぐことなく歩くこととなった。
登山道からはくっきりと常念山脈の稜線が見られる。

ランチャー台の新設工事 後立山は雲の中


長峰山からの眺めは毎回登るごとに変化する。
一昨日は常念岳が見えずに、後立山がよく見えていた。
今日は後立山は雲の中だが、常念岳など安曇野のシンボル的山々蝶ヶ岳・燕岳そして有明山が姿を現わす。
そして久しぶりに南アルプス、中央アルプスも遠望できた。
仙丈ヶ岳と北岳はたぶん重なり、塩見岳・赤石岳そして聖岳その先まで展望できていた。

南アルプス遠望


一昨日烏帽子岳では倒木により完全に登山道が塞がれていたが、見事きれいに片付けられていた。
あっという間の復帰作業に驚くしかない。
松枯れにより倒木の多いところだが、太い木も切断し常に歩きやすくなっているのには感謝しかない。
景色にも癒やされ、汗も少なく快適に歩けた長峰山・光城山だった。

「坐骨神経痛」
よく歩き、屈伸すると右腰は痛むが坐骨神経痛の症状はほとんど出ず、両足裏のしびれがある程度。
徐々に歩く自信が付いてきている。
明後日にはMRIの撮影を行うことになっている。

12月に入り坐骨神経痛がほぼ2年ぶりに右足に再発した。
受診し痛め止めカロナール、プレガバリンそして疎経活血湯を飲み続けている。
2週間経ち違和感、ちょっとした動きに痛みが出るが改善はされているように思う、一番気になるのは両足裏のしびれだ。
本来「スキーへ」シフトしている時期だが、MRIでの腰の様子を医者がどう診断するかによって、今後の「山へ、スキーへ」が決まってくる。

自分では痛みが治まってきているので、医者の判断が「無理なく動いても良い、様子を見よう」ぐらいであれば「スキーへ」と思っている。
今の調子から重傷ではないだろうが、腰椎の様子が悪化しているようならば今後の行動を改め考えなくてはならない。
何はともあれ、一応MRI検査の結果待ちかな。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 18:00Comments(0)こんなことが!