2024年12月09日

荒神岳 442座目/日本の山1000

2024年(令和6年)11月12日(水)

荒神岳 442座目/日本の山1000




https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7478207.html

荒神山へ 登山道も彩られ


高野三山を登った後、荒神山へと向かった。
荒神山は奈良県野迫川村にあり、和歌山高野町から山道を1時間弱。
荒神神社の御神体としての山になるのだろう。

思っていた以上に多くの方が参詣されていた。
駐車場にはお土産屋さんもあって、思い描いていた静かな山とは違った。
大きな鳥居をくぐり社務所前を登り始める。

京都伏見稲荷のような鳥居が数多く並ぶ中、石段を登る
ジグザグで登る石段は数えなかったがお参りの方には大変な登りだ。
登山者風なのは私だけでザックが場違いのような感じがした。

まずは荒神神社の本殿へ。
立派な本殿でお参りをしてから荒神山山頂を目指すことにした。
社殿の付近から登山道があるのかとうろうろするが見つからず、ナビでは社殿辺りから山頂に延びている道も示されるのだが、全く進められる場所が見つけられなかった。

登ってきた階段を下ったところかと、階段の踊り場のような所まで降りてみた。
すると行き止まりのようにロープが張られているが踏み跡が少し見られた。
さらに社殿への階段に平行するように登るとピンクテープも見られ、社殿の裏辺りから尾根に沿って登ることになった。

尾根は歩きやすい登山道になり、紅葉も楽しめた。
尾根からは遠くの山並みも見られ、起伏もなく順調に山頂へと着くことができた。
神社境内、社殿までは賑わいもあったが、全く人の気配を感じない山頂であった。

紅葉の樹林に囲まれ展望もない静かな山頂でしばし休憩後下山。
境内に戻ると薄日も差し、近くの山肌にはグラデーションの紅葉が広がっていた。
御神体荒神山で「日本の山1000」442座目となった。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 06:00Comments(0)日本の山1000

2024年12月08日

楊柳山 高野三山 441座目/日本の山1000

2024年(令和6年)11月12日(火)

楊柳山 高野三山 441座目/日本の山1000




https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7477729.html

楊柳山(高野三山)山頂


朝一番高野山金剛峯寺を参詣した。
誰もいない静かな弘法大師によって開かれた真言密教の聖地を詣でることができた。
鐘楼付近は紅葉に彩られ静寂な境内を明るくしていた。

その後奥の院方面に向かい、中の橋駐車場へと入るが参拝者の多いこの時期は有料とのことで手前の路肩に車を止め歩き始めた。
やはりまだ参詣する人もいない静かな参道を歩き弘法大師廟方面へ。

反時計回りで高野三山を歩くことにしていたので廟は下山後にお参りすることにしてお地蔵さんのピラミッド横を歩き登山道に入った。

女人道を歩く。
女人道(にょにんみち)とは女人が弘法大師の御廟を拝みたいと、女人堂から女人堂へと峰々を辿ったといわれれる道をさすそうだ。(女人結界だった明治5年前まで)
今回歩いた高野三山の魔尼山・楊柳山・転軸山を巡る道は女人が辿った道ということになる。

まず最初に摩尼峠に、一息入れ摩尼山へと登り着く。
摩尼山には、柔和なお顔の観世音像が安置されていた。
最初の高野三山には木漏れ日が差し、暖かく迎え入れてもらった感じだ。

落ち葉を踏みしめ起伏を繰り返し一番の目的の楊柳山に着く。
神秘的な景観で紅葉が始まり周囲は明るい。
やはり楊柳観世音像が祠に安置され、病苦を救ってくれる観音様と言うことだ。(足腰のこと祈ってくれば良かった)

転軸山への途中の杉林だっただろうか、その中に黄色に紅葉した木々が林に浮くように見られた。
神秘的な美しさ、見慣れぬ光景にしばし見とれてしまった。
最後の三山目転軸山へは標高が低いので徐々に下り、最後車道を越え少し登り着いた。
標高は低く弘法大師廟にも近いこじんまりとした山頂。

女人堂方面へ行かずに奥の院方面へ下る。
弘法大師廟横の沢を渡り賑わう境内へと三山巡りを終了した。
もちろん弘法大師様にお礼を述べ、手を合わせてきた。
朝方の静寂さとは大違いの人の多さ、そして駐車場も満杯で渋滞が起きているのには驚くしかない。

歴史の道、女人道を歩き、高野三山を巡ることができた。
朝方の静寂の中金剛峯寺にもお参りができ、弘法大師(私の名の一字)
空海にちょこっとお近づきできたか。
目的であった楊柳山は「日本の山1000」441座目になった。


ふるちゃん  


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2024年12月07日

和泉葛城山 443座目/日本の山1000龗

2024年(令和6年)11月12日(火)

和泉葛城山 443座目/日本の山1000




https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7479318.html

高龗神社(和泉葛城山)へ


高野三山、荒神山と登り、紀ノ川へと下る。
時間的に余裕あり、車でも山頂付近まで行ける和泉葛城山へ。
岩湧山も登りたく、車ルートを考えると今日中に和泉葛城山を登ることができればというのもあった。
和歌山と大阪境の和泉葛城山へ急坂の細い車道を走らせた。

ほとんど車で山頂へということで、山頂付近の駐車場に。
駐車場からは紅葉の参道を進むと石造りの祠がある山頂へと着く。
和泉葛城山858m山頂は、高龗(たかおがみ)神社あるいは葛城神社とも言われる社が祀られている。
雨乞い、水の女神タカオカミ神が祀られているとのことだ。

山頂から下ったところに展望台が設置されている。
紅葉の真っ赤な木々に覆われ、最上階からは大阪方面、和歌山方面が見渡せた。
雲が出ているので遠くまでは見られなかったが大阪の街、大阪湾その先に六甲山も見られるようだ。
和歌山方面は今日登ってきた高野三山などの山並みが望めた。

簡単に登ることはできたが、神社、紅葉そして素晴らしい展望に感動。
和泉葛城山で「日本の山1000」443座目となった。
今回の三重、和歌山方面で13座目にもなった。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 05:30Comments(0)日本の山1000

2024年11月29日

龍門山 紀ノ川勝神峠より 440座目/日本の山1000

2024年(令和6年)11月11日(月)

龍門山 紀ノ川勝神峠より 440座目/日本の山1000


写真
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7475456.html

和歌山 紀三井寺を参詣後、紀ノ川の龍門山へ向かった。
途中の車道からは紀州富士と呼ばれる山容がきれいに見られた。
登山口はいくつかあるが最短の勝神峠へ

ゲートのある登山口から車道(?)を登り始める。
山道かと思っていたのがコンクリート道で、朝方雨だったためもあり滑る最悪の道となっていた。
直線的でかなりの急坂がこれでもかと続くためつらいことつらいこと。
そして登りよりも下りがきつそうだと思いつつ登るしかなかった。

ランチャー台から和歌山・紀ノ川の絶景


ようやくランチャー台のある開けた場所に出た。
ここでコンクリートの林道も終点となる。(納得)
パラグライダー、ハンググライダーの離陸場所になっていた。
展望もよく和歌山平野を流れる紀ノ川の蛇行が美しい。

ここからの登り口がよく分からず迷うが、少し登ったところから登山道がはっきりした。
沢沿い、滑る石、それに覆い被さる冷たい植物に苦戦。
コンクリート道も苦戦しコースは短いがなかなか大変な山と思いつつ登っていた。

山頂は明るく和歌山平野が見通すことができた。
龍門山の大きな山名盤にまだ持っていたシナノホッペを置き記念撮影。
展望はススキの間から紀ノ川の町並みと大阪との境になる山並みが眺められた。

下山はランチャー台から下の舗装道を滑らないように要注意。
コンクリート部の端、草や土嚢を足場に使いゆっくりと下る。
山それぞれの特色に、その状況に応じた歩きが必要になるが、安全に今回も下山でき龍門山に感謝。
これで「日本の山1000」440座目となった。


ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 06:00Comments(0)日本の山1000

2024年11月28日

生石ヶ峰 ススキ見頃 439座目/日本の山1000

2024年(令和6年)11月10日(日)

生石ヶ峰 ススキ見頃 439座目/日本の山1000



写真はこのサイトで
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7474347.html

今日は午前中に城ヶ森山、白馬山を登ってきた。
三座目の生石ヶ峰(おいしがみね)へ。
白馬山で出会った方々からいい山だよと聞かされていた。

白馬山から生石ヶ峰へたどり着くまでが大変で強烈な思い出になってしまった。
ナビの指示に従い林道を下りどこを走ったのか分からないのだが、その林道の険しいことこの上なかった。

まず狭い上に草木が迫り片側は崖、路上には石、落木が続く。
戻ろうとも思うがバックができない、ずるずる進んで行くしかないと決め大きな倒木だけはないよう願い冷や汗もので下った。
何度か大きな石、落木をどけては、安全な道へ早く出ないかと思うだけだった。
他の車も走る道に出るぞ、ところが最後のカーブは曲がれない狭さ、仕方なく少し前に進みバックで広い道へと出た。(最後の最後まで大変!)
生石ヶ峰とは関係ないが林道の大変さを存分に味わうことができた。

その後順調に生石ヶ峰の駐車場へと入ることができた。(帰りは長蛇の渋滞、着いたときはすんなり入れたのでラッキー)
驚いたのは駐車場が満杯状態、人そして人、賑わう山だったことだ。
ススキが有名だとは聞いていたが、日曜日、ススキの見頃とあって大勢の方が来られていたのだ。

確かに山一面ススキに覆われ、ススキの穂が揺れる原が続く。
祠のある岩場からの眺めが素晴らしく一面のススキを眺めに来る方が多いのが分かる。
山頂はすぐだったが生石神社が近くにあるというので、先に行くことにした。

山頂の横を通り、案内板に従い行く。
山頂に近いだろうとの思いで歩くが、なんと下り始める。
もうすぐで着くだろうと下るが神社らしき建物がなかなか出てこない、見えない。
結局かなり下り生石神社へとたどり着いた。
ここで初めて「おいし」ではなく神社は「しょうせき」と音読みしているのが分かった。

下ってきただけの価値のある神社だった。
一番は花崗岩だろうか白い大きな岩が御神体になっていることだ。
やはり「生石」「石が生まれる?」とあるだけに、山名と関係あるのだろうと推測した。
ここまでの山行の無事とこれからの安全を祈願して山頂へと登り返した。

山頂は大勢の人、それも家族連れ、カップルが多く賑わっていた。
山登りをしているという感覚は全くない。
ススキの原を眺め、心地よい空気を一杯吸い込み、自然を満喫しているようだ。
私も何も持たずにぶらぶらと歩きススキの生石ヶ峰を存分に楽しんだ。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 13:25Comments(0)日本の山1000

2024年11月26日

白馬山 ミカン感謝!438座目/日本の山1000

2024年(令和6年)11月10日(日)

白馬山 ミカン感謝!438座目/日本の山1000




写真はこのサイトで
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7469543.html

護摩壇から白馬林道に入り、まずは城ヶ森山を登ってきた
なんと午前中に白馬山も登ることが可能となった。
奥深くまで林道が延びているおかげだと思う。

白馬山(しろうまやま)、どうしても「はくば」と呼んでしまうのだが、「しろうまやま」の響きも良い。
この白馬山では、地元の白馬山などを時々整備登っている方々と出会うことができた。

まずは林道を走り予定していた登山口を目指していたところ、大勢の登山者と出会う。
そこで白馬山の登山口を聞くと、ここが一番短時間で登ることができる東登山口とのこと。(えっ!)
予定していた登山口とは違うが、ここからの方が近いと教えていただいたのでありがたく早速登ることにした。

先行された地元の方々は登山道の枝など切ったり、取り除いたりしながら登られていた。
登るだけの私は中腹辺りで追いつきすれ違うこととなった。
一人の男性の方が、「松本ナンバーでしたな。なんでこんな所まで」と聞かれてきた。(よくあること)
三重、和歌山近辺の「日本の山1000」をめざし、白馬山へもと話した。

地元の何名かの方々と白馬山などを整備しているのだが、今日はその集まりで歩いているとのことだった。
せっかくこんな山まで(そんなことはないのだが)来られたので、私の家で取れたミカンを持っていきなとザックから袋ごとくださった。
ありがたく、皮の薄い甘みたっぷりの和歌山ミカンをいただくことになった。(後日賞味)

いつも手入れされている山だけあって、歩きやすく山頂へと気持ちよく到着。
整備されている方々が昨年立てたという山名表示にいただいたばかりのミカンを置いて記念撮影をした。
樹林帯に囲まれ眺めは一部だけだが、護摩壇山と先ほど登ったばかりの城ヶ森山だろう山を望めた。

なかなか出会う人もいない「日本の山1000」の中で、ちょうど白馬山を大切にしている方々と出会うことができた。
今日、三座目登る予定の生石ヶ峰の情報も聞かせていただき気持ちよく下山した。
438座目となった白馬山は人との出会いで、今回忘れられない山となった。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 05:48Comments(0)日本の山1000

2024年11月23日

城ヶ森山 上湯川山経由 437座目/日本の山1000

2024年(令和6年)11月10日(日)

城ヶ森山 上湯川山経由 437座目/日本の山1000



写真はこのサイトで(写真が入らなくなった)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7468589.html

護摩壇から少し下り白馬林道を走っていると城ヶ森山の気象レーダーが見えてくる。
気象レーダーへの舗装道ゲート前に駐車。
ススキ、そして怪しい雲(ひつじ雲)の下、尾根へ登り始める。

みごとな栂・ブナの樹林帯のなか快適な登り。
足下は落ち葉でふかふか、ほとんど登山道は分からなくなっているが。
目の前に上湯川山があっという間に現れ登頂した。
樹林に囲まれた静かな山頂だ。

上湯川山からさらに稜線を歩むと一度車道と出会い再び稜線道へ。
といってもすぐに再び車道に出て、最後の登りは再び車道で山頂へ向かう。
車道からは目の前に気象レーダーが、逆光の中大きな姿を現す。

あっという間の城ヶ森山山頂だ。
気象レーダー駐車場の先にもっこりとした場所が、全く山頂表示はないが頂だろう。
山頂付近からは、今登ってきた上湯川山はよく分かる。
遠くにきれいな山並みが見られるがさて?それにしても奥深い山だ。

下山は車道を歩く。
紅葉の見られる山々もあり、護摩壇タワーを発見した。
振り返ると気象レーダーのある城ヶ森山が見送ってくれていた。

城ヶ森山で「日本の山1000」437座目となった。
引き続き438座目の白馬山へ向かい林道を走らせた。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 17:26Comments(0)日本の山1000

2024年11月20日

牛廻山 最短で、でも!436座目/日本の山1000

2024年(令和6年)11月9日(土)

牛廻山 最短で、でも!436座目/日本の山1000



https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7462280.html

牛廻山1207m山頂 丑年の山


本来、大塔山・法師山を登る予定を立てていた。
ところが登山口までの林道が11月に入り通行止めと言うことが分かった。
通行止めとあっても進めることはあるのでしばらく行くが、バリケードが設置され進められなかった。(ショック!)
ほかに行き方等あったのかもしれないが法師山登山口にたどり着けなかったのだ。

そこで短時間で登ることのできる牛廻山へと変更。
かなり車を走らせ疲れが出てきたところに、さらに追い風をかけるような425号の道で牛廻山の最短登山口へ。
狭く、崖っぷちを走り、山側からは樹木も、さらにタイヤが心配になるガレ場も出てくるという快適さからはほど遠い道425号で和歌山県・奈良県境の峠に着く。

清流に出会う


ここからさらに登山口探しに時間がかかってしまった。
425号の県境峠からさらにダートの林道に入り込む。
この林道に登山口があるはずがナビがへそを曲げてしまった。
どんどん奥まで行ってしまい、作業をしている現場で行き止まり。

今一度県境峠に戻り、和歌山県側に下るが。
どう考えても先ほどの林道に登山口があるだろうと、ヤマレコ登山開始を押すと登山口へと近づくのが分かり、林道脇に広い駐車場を見つけた。
そして登山口らしき尾根、そして赤ビニルテープを発見。
全く表示はないが、ここが登山口と安堵する。

画像を入れようとするが「容量が一杯」赤字が出てしまう


昼も過ぎ、ようやく歩き始めることができた。
尾根伝いに登り、途中きつそうな登りがあるかと思いきやトラバースして先に進む。
今一度尾根に出ると、落ち葉でふかふかの道なき尾根を高い方へ高い方へと登るだけ。

あっという間に明るい、紅葉も美しい山頂に着いた。
樹木に囲まれ展望はないが、光に照らされる木々の葉が美しい。
ふと今日の一日を振り返ると車に乗っている時間が長く、歩きは最短距離の登頂と言うことで楽だったが、複雑な気持ちにもなった。

牛廻山の名前、そのの由来を諸説あるだろうが調べてみた。
十津川村・龍神間では牛に米など生活物資を積み運んでいたが、現県境の峠越えは牛には難しく人が代わりに運び、牛を廻した(帰した)という。
そこで峠近くのこの山が、牛廻山となったとの由来があるそうだ。
そして丑年に登る干支の山としてもよく知られているとのこと。

熊野から法師山登山口へと進むが通行止め、牛廻山への425号の狭く厳しい長い道のり。
さらに県境からのダートを行ったり来たりの迷走。
山への歩きよりも、登山口までの耐えて忍ぶ運転に身も心も疲れてしまった牛廻山となった。
それでも振り返ると知らない世界を存分に味わうことのできた一日でもあった。
牛廻山で「日本の山1000」436座目となった。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 17:46Comments(0)日本の山1000

2024年11月19日

一族山 布引の滝 435座目/日本の山1000

2024年(令和6年)11月8日(金)

一族山 布引の滝 435座目/日本の山1000




https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7457450.html

流麗 布引の滝


道の駅板屋九郎兵衛の里付近から林道で布引の滝へ向かう。
四段からなる日本の滝百にも選ばれている飛沫もたてずに流れ落ちる様は華麗な姿だった。
花崗岩の白さも融合して豪快な滝というイメージとは異次元の布引の滝だった。

ほぼ同位置に一族山への保全林登山口。
木橋を渡り沢沿いを行く、トレイルランが12月に開催されるようでそのオレンジ色のテープが目立つ。
そのテープに誘導され、登ろうと決めていた登山口を行き過ぎてしまう。
戻って見ると、登山口にはロープが張られていて通行止めなのか。
計画、決めていたルートなので行けるところまで行けと決断登り始めた。

歩くのが大変


荒れている!
杉の倒木、落ちた枝が登山道を覆う。
足場は岩がゴロゴロし安定しない。
光も差さず、ジメジメとした荒れた登山道が続く。

でも、手すりが設置され、形をなさない木段も続く。
かつては整備されたハイキングコースだったのに違いない。
整備されなくなると荒れるしかないという感じの登山道だった。

一族山801m 山頂


暗い林を出ると、やはり荒れた林道に出てしばらく歩くことに。
落石してきそうな壁を横目にいったん下ってしまう。
再び登山道に入るのだが、古い小さな表示がなければ入り口も荒れていて分からない状況だった。

ジグザグに、そして山頂を巻く様に登山道がある。
わかりやすいので問題はなかったが、このままだと廃れてしまいそうな道に感じた。
山頂間近、急に広い登山道がなくなり、ちょっとした藪中を進み頂上に出た。

ほぼ木々に囲まれた山頂。
どこの山々が見られたのかは分からないが、樹幹からの展望があった。
一族山とは山名が面白く、そのいわれはと調べてみた。
南北朝時代、吉野を拠点とした南朝の刀剣を作っていた入鹿鍛冶一族に
由来するらしいとのこと。
この一族の存在が強い地域の山だったのだろう。

めはり寿司


山頂ではめはり寿司をいただいた。
熊野市の郷土食でご飯を高菜で包んであるおむすび。
一気にがぶっと食べないと高菜が食いちぎれない、そこで目を見開き食いついたので命名されたとのこと。
塩味の効いた素朴なおにぎりでエネルギーを得て同道を下山した。
周回できそうでもあったが、入り口が雑木に覆われ分からなかった。

これで無事「日本の山1000」435座目を登ることができた。
しかし、今回計画していた笠捨山は登山口への道が通行止めのようで残念だが諦めることに決めた。

花の窟 御神体


P.S. 花の窟(いわや)世界遺産へ。
明るい内に熊野・花の窟道の駅に戻った。
神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が葬られた御陵という日本最古の神社へお参りした。
ご神体は高さ45mの大岩、圧倒される白い岩を目の前に神話の世界、神秘の世界に身を置くことができた。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 06:00Comments(0)日本の山1000

2024年11月18日

五大尊岳 山在峠より奥駈道 434座目/日本の山1000

2024年(令和6年)11月7日(木)

五大尊岳 山在峠より奥駈道 434座目/日本の山1000




https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7453795.html

五大尊岳825m山頂の不動明王


山在峠から大峰奥駈道を五大尊岳へ
本来大峰奥駈道とは役行者が開いた吉野と熊野を結ぶ険しい峰々を結ぶ修行を行なう(七十五靡)約80kmの古道を指している 。
部分的に歩いてはいるが、今回もその一部を歩き「日本の山1000」の五大尊岳を目指した。

もう少しで奥駈道終点の熊野本宮に近い山在峠から歩き始めた。
登山口には石造宝塔が祀られ奥駈道らしさを感じる。
この奥駈道には第五靡(なびき)の大黒岳、第六靡(金剛多和、役行者が祀られている)、そして第七靡(目指す五大尊岳)がある。

熊野川


しばらく歩くと熊野川が眼下に流れている光景に目を奪われた。
光が差し蛇行する水面、白い砂の川岸が明るく輝いていた。
遠くに大峰の山々の稜線がうねるように伸びる。

大黒岳まではこれならば楽勝の山行と思い歩いていた。
大黒岳から一気に下る、どこまで下るんだという不安に襲われた。
それは前哨戦で第六靡・金剛多和からは起伏の大きい急斜面が何度も出てきて修行・苦行そのものになった。
ただここという急斜面にはロープがしっかりと張られ、わたしのような軟弱者にはありがたいことだった。

第六靡 役行者の石仏


五大尊岳の北峰へ到着。
山頂には不動明王の石仏が祀られていた。
五大尊は五大明王とも呼ばれ、不動明王を中心とした恐ろしい形相の仏が悪を倒し世の中を守るとのことだ。
まるでゴレンジャーのような。(古いか)

登山道脇に見られたリンドウ


正に修行をしたような五大尊岳の歩き。
「日本の山1000」434座目となった。
大峰奥駈道の一部だけだが歩き、修験の体験をしたような気になった。
そんな厳しい歩きだったが、所々に紫色のリンドウを見かけ疲れもとれるような気分になった。

ふるちゃん  


Posted by ふるちゃん at 06:00Comments(0)日本の山1000